報告者:横浜国立大学都市科学部建築学科1年 荒井 陸
【活動日時】2024年5月12日(日)13:30〜17:00 曇り
【訪問先】東京都新宿区神楽坂周辺
【活動内容】鈴木俊治先生のガイドを聞きながら神楽坂周辺を歩き、現地について学びを深める
こんにちは。
私たちは5月12日に、神楽坂に出向き、街歩きをしてきました。
デベロッパーなどによる大きな開発に頼らず、住民や地域の事業者が連帯し、まちづくりの努力をコツコツと積み重ねて今に至るというこの神楽坂の街に、昭和時代末期から関わりを持たれている、芝浦工業大学システム理工学部環境システム学科教授の鈴木俊治先生をお迎えし、ガイドツアーの形で神楽坂の解説をいただきました。
今回の活動には、高校生10名が参加しました。
まずは13:30に毘沙門天善國寺に集合をし、出欠確認を行いました。
↑集合前の様子
出欠確認、自己紹介を終えたのち、鈴木先生からまず神楽坂の大まかな説明と、善國寺についてのお話をいただきました。
神楽坂は旧牛込区に属し、この一帯はかつて牛の放牧地であったようです。戦国時代、群馬県赤城地方の豪族であった大胡氏が当地に進出して牛込氏を名乗り、現在の光照寺付近に牛込城を築き、その周囲に家臣の居住地が開かれました。これが神楽坂の市街化の始まりと言われます。その後、江戸城が開城すると、現在の地下鉄神楽坂駅周辺である矢来町に奉ぜられた酒井若狭守の屋敷から江戸城に登城する道として神楽坂通りが整備されました。この道は将軍が酒井家を訪ねる「御成道」でもありました。江戸城に近い神楽坂には武家屋敷が多数築かれ、従来からあった町人地、さらには明暦の大火後に移転してきた寺社が相まって、武家、町人、寺社がミックスされたまちとして賑わいを見せました。
それでは善國寺を出発し、いよいよ神楽坂ウォークのスタートです!
はじめに善國寺の前にある、鈴木先生が作成に携わったという、神楽坂楽々散歩マップの解説を聞きました。実物はぜひ現地に足を運んで肉眼でご覧ください。そのあとは神楽坂通り(メインストリート)を歩きます。
神楽坂通り沿道は、こちらの写真のように、建物の壁面線がそろい、隙間がほとんどなく整然と並んでいます。これは都市計画法や建築基準法による規制ではなく、歴史的経緯を背景とした地域での協定によるもので、それによりまちに一体感が出ているようです。
ちなみに、この神楽坂通り、電柱が一本もないことに気づきましたでしょうか。そうなのです。実はこの通り、電線は地下に埋められているのです。さらにこの道は、平日は歩行者天国となる12時~13時を除いては一方通行となりますが、特徴としては午前と午後は通行方向が変わることです!これは歩行者の通行安全性を高めると同時に沿道店舗への物流を確保するために、地元と警察が協議を重ねた結果の運用であり、単純に歩行者専用道路にせず、地元商業者に対する配慮を忘れない姿勢というのはすごいと感じました。
ところでこのビル群、実は全て通りに面している幅(間口)が決して広くはないことがわかります。これは伝統的に商店街では間口幅をもとに拠出金が定められたため、間口が大きいとその分拠出金が増えることが一因です。一方でそのために多くの商店がメインストリートに顔を出すことができているのです。そのような風景はごく当たり前のように感じるかもしれませんが、実はそれは当たり前のことではないということがわかりました。
ところで、神楽坂といえば路地です!メインストリートの見学の後は路地に入って行きました。
神楽坂のこういった狭い路地のルーツは、江戸時代の武家屋敷内の通路とのことです。江戸幕府が倒れ、明治政府が起こると、武家屋敷の主であった武士たちはいなくなり、多くの建物は空き家となってしまいました。そこに三業地が指定されたことから、明治以降は花柳界が発達し、花街となってゆきました。今では料亭の数こそは減りましたが、写真にあるように、まだ花街の雰囲気、景観が残されています。また、このような路地は公道ではなく私道となっています。訪れる際はマナーにお気をつけください。
ちなみにこの路地、下の写真のような石(ピンコロ石)が敷き詰められているのですが、この中にいくつか異なる形の石があることは知っていますでしょうか。右の写真のようなハート型や、他にもダイヤモンドを刻んだものなどもあるようです。今回の参加者たちも下を向いて熱心に探していました。
神楽坂は起伏や小さな地権者が多いといった理由から、バブル景気の絶頂時代にはあまり着目されませんでした。しかしその後になって、新宿や渋谷といった繁華街に比べれば地価が安く、また料亭の閉店が相次ぎ空地が生じたなどの理由により、大型マンションなどの建設がなされました。右側の写真の寺内公園は、大規模マンションの提供公園ですが、ここは花柳界の発祥の地でした。
左の写真は2007年に、かつてこの地にあった小料理屋から火災が起き、延焼したエリアに建てられた商業建築で、周囲の街並みとは大きく異なっています。
神楽坂では、先述の花柳界や商店会などの地元組織が連帯してまちを作ってきました。そんなまちの中に、このような地元がコントロールできない開発がなされることは問題です。しかし、今日の法制度や経済の観点からは、このような再開発は合理的で適正とも言えます。この相反する2つの見方がある中で、神楽坂の魅力や活力を将来につなげるにはどうしたらよいかを考え、取り組んでいるというお話をいただきました。
この後、神楽坂にある鈴木先生の事務所に行き、参加者同士の懇親会兼まとめ会を行いました。
↑懇親会の様子
参加した学生からは、
・街についてこんなに詳しく見ながらゆっくり歩くというようなことは初めてで,全ての景観,建物などはできた背景や歴史があることを知って驚きました。自分にはない新たな視点を手に入れることができたと感じます。
・自分は普段町の歴史などあまり気にしたこともなく、地域のことも町内会の方たちが取り組んでいることは知っていますが、実際の活動はあまりよく知りません。しかし神楽坂の刺激を受けて、私の近所の地域を守っていくには自分も行動をおこさなければと思います。まずは歴史を知ることから初めてみたいです。
・初めて神楽坂に行ったのですが、独特な雰囲気と景色がとても素敵でプライベートでも行きたくなりました。
といった感想がありました。
参加した学生にとって今回の活動は、街に対する新たな視点を得られた活動でありました。今回の活動を踏み台にして、ぜひ身近な街に対しても、郷土資料を読んで理解を深めてみるのも良いかもしれません。
私は今回のこの実習で、それぞれのまちが現在の形になっているのには必ず何かしらの理由が存在するということを学ぶことができました。
ぜひ神楽坂を歩く際には、今回ご紹介したことを踏まえながら歩いてみてください!