多賀城市津波伝承まちあるきに参加しました

中口研究室4年の松村 天斗です。10月14日(土)、宮城県多賀城市津波伝承まちあるきツアーを実施しました。その様子についてレポートさせていただきます。

関東からの参加者は、6:30に 大宮駅中央通路の豆の木前に集まり、 21:00 に大宮駅で解散する日帰りの日程でした。貸切バスで現地まで向かいました。

参加者ですが、関東からは芝浦工業大学環境システム学科3年生が7名、筑波大付属坂戸高校1年生が1名、大宮武蔵野高校2年生が1名、市立浦和高校2年生が1名、大砂土東小学校3年生が1名と保護者が1名参加し、多賀城市からは城南小学校5年生が1名と保護者が1名参加しました。

11:15頃に多賀城市に到着しました。はじめに宮城県立多賀城高校災害科学科の高校生8名の方々にガイドしていただきながら、東日本大震災で被災した多賀城市の現場を歩くまちあるきを実施しました。4グループに分かれてガイドしていただき、当時多賀城市はどんな被害を受けたのかの痕跡や、当時のエピソード等について丁寧に教えていただきました。

          

     電信柱上部には震災当時に到達した津波の高さが標記されている

12:30頃にゴールのJR多賀城駅に到着し、記念に全員で集合写真を撮影しました。

多賀城市東日本大震災モニュメント前にて 中には亡くなられた方のお名前が記載されているそうだ

その後は多賀城市文化センターにて昼食をとりました。昼食は防災関連のツアーということもあり、持参してきた防災用のアルファ米(災害用備蓄米)を使って皆でおにぎりを握って食べました。おかずはさば缶、いわし缶、焼き鳥缶を用意して食べました。学生らや小学生も自分自身でおにぎりを握って食べるという体験はしたことがないと言っており、楽しみながら災害時を想定した食事をすることができたとの声がありました。

      

アルファ米(災害用備蓄米)のおにぎりを作っている様子

屋内, 天井, テーブル, 座る が含まれている画像

自動的に生成された説明昼食後は東日本大震災の時に南三陸町立戸倉小学校校長先生だった麻生川先生(現多賀城市教育長)に当時の体験談を聴きました。戸倉小では地震発生時のマニュアルについて東日本大震災前から話し合っていたこと、避難時のエピソードや心理状態、一瞬で町が津波に飲み込まれてしまう恐怖など大変貴重な体験談を聴くことができました。

         

麻生川先生のお話を熱心に聴く学生と子供ら

15:00頃文化センターを出発し、帰路につきました。帰りは行きとは違う経路で、福島第一原発の手前で高速を降り、帰宅困難区域に指定されていた場所をバスの中から見学しました。道の駅周辺は比較的栄えており、住宅も多かったですが、少し進むと当時のままの建物が見受けられました。簡易測定器で放射能の強さを測ると、最初は基準値(年間基準値を1時間あたりに換算した値0.23uSv/h)より低かったですが、原発に近くを通ると基準値を超えるようなエリアもあり、場所によっては未だそのようなエリアがあることが分かりました。

簡易測定器で図った放射能の強さ。最大値は2.4 uSv/hでした。

参加した学生、子供、保護者からは「防災関連に興味を持っているが現場を見る機会がなかったので見学できて良かった。」「みんなでおにぎりを握って食べたことがとても印象に残った。」「埼玉は海に面していないが川の氾濫という水災害があり、決して他人事ではないと感じた。」「避難の話など現場にいた人しか分からない貴重な体験談を聴くことができ、良い経験ができた。」「現地の方のガイドや体験談を聴き、防災に関しての情報を知った。あとは自分事として行動するだけ」「缶詰は普段食べないものなので、そういったものをいざ被災した時のために食べ慣れておくことは重要だと改めて気づいた。」「高校生がしっかりと下調べをして入念に準備し、ガイドしてくれたところに保護者としては魅力を感じた。」といった感想が寄せられました。ガイドしてくれた多賀城高校生からは「みなさんメモなどこまめにとっていたり、質問なども積極的にしていて、自分もこれくらい積極的にやらなくちゃなと思いました。」といった感想が寄せられました。

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